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untitled document by "Kanon"


あたしのお願いを聞いてくれるつもりなら
明日会えるでしょう? 怖い顔したりしないから…
――『Break These Chain』/CHARA



 嵐! 嵐が来る!


 ぼくは深く暗い森にいます。姉さん、あんたが迷い込んだ森です。太陽のほんのひとかけらすら見ることができない、深く広い湿った森です。あんたはもう何年も前に迷い込んだ。ぼくが死んだ日、憶えていますね、ぼくが死んだ日です。ぼくはあの日からずっとあんたのそばにいる。心配だからじゃない。離れられないんだ。あんたの人生を見守り続けて、もうどれだけの月日が過ぎ去ったことでしょう。光が差し込むことはありません。唯一のぬくもりだった彼女は腹を切って死にました。あんたはまたひとりになりました。ぼくはここにいます。もの言わぬ魂はあんたの後ろを漂っています。しかしもうあんたの背中にへばりつく日々に飽きました。
 姉さん、今度はあんたがぼくを孕んでください。ぼくを再びこの世に産み落としてください。ぼくはその日が来ることを知っている。古ぼけた大木のうろにくるまって、ぼくはあんたがぼくを産んでくれる日を待ち望んでいます。


 夢を見た。夢? 違う。そんな甘美なものじゃない。あの子の声。愛する弟。一弥の声をわたしは聴いた。この耳で聴いた。あの子の吐息を確かに感じた。
 真夜中。倉田佐祐理は半身を起して枕元の目覚まし時計を手に取った。『AM2:46』。緑色に発光する数字が普段なら完全に寝入っている時間であることを示している。一弥に起こされた。一弥はわたしに自分を産んでくれと言った。夢を記憶していることは少ないが、やけにはっきりと憶えていた。脳みそじゃない。きっと身体が記憶している。
 佐祐理は部屋を出る。床の冷たさが足の裏から駆け上がってくる。意識ははっきりとしていた。寝惚けてはいない。台所で一杯の水を口にする。気管に入りむせ込んでしまう。コップを持ったまま、しばらくその場にうずくまっていた。佐祐理は天井を見上げる。電気をつけていない深夜の台所の天井の染みは昼間よりも大きく見えた。コップを床に置き、両膝に顔を埋める。置いたときの衝撃で揺れ続けるコップの水をじっと眺める。


 住む人がわたし一人になって、この家はやけに広く感じられるようになった。わたしは空間を持て余している。わたしはがらんとしたキッチンでたったひとり、ロールパンをかじっている。ぼそぼそとした食感が喉をなかなか通り抜けずに不快さが募っていった。牛乳は高くて買えない。水道水でパンを流し込む。
 わたしの生活音だけが室内に響いている。テレビはもう何週間もつけていない。従兄弟は死んだ。母は施設に入った。わたしひとりがこの家に残った。しかしこの家で過ごす日々も間もなく終わる。わたしはアパートへ引っ越しをする。わたしひとりが暮らすにはじゅうぶんな広さのアパートに。この家は広すぎる。母の存在がどれだけ大きかったのか、今になって実感している。母は事故に遭って、白痴みたいになってしまった。働かなくてはならないわたしには母の介護をすることはできない。今までわたしを育ててくれた母への恩返しができないことがいつもわたしを苛んでいる。働いているときも眠っているときも。


 あの子のことはあまりよく憶えていない。どれくらい前のことだったのかさえ。幼い時分よりひとりでいることが多かった美汐、おまえにとって初めてできた友達だったね。過ごした日々はわずか一ヶ月にも満たない時間だった。そのときから醒めない夢を観続けているような気がしている。
 朝起きると、まず顔を洗う。鏡を見る。映っている自分の顔をまじまじと見つめる。陰気な、亡霊のような顔。毎日、自分自身と顔を合わせなければならないことはもう諦めている。私は何なのだろう。どうして今ここにいるのだろう。よくわからない。自分が今、この世に存在しているということを、私は理解できずにいる。今まで、そしてきっとこれからも。





 五時に目を覚ます。寝坊することがなくなったのはいつからだろう。母がいた頃は、あついは祐一がいた頃はわたしは自分から起きるということがなかった。甘えだった。しかし今は違う。起きなければならない。食べるためだ。わたしは時給で縛られている。寝坊をするということはそれだけ貰える給料が減ってしまうということだ。ただでさえ少ない時給をそれ以上減らしたくない。わたしは、寝坊することができない身体になった。最低賃金六七〇円がわたしを揺さぶって起こす。毎朝毎朝、いつも起こしてくれる。お金は大事だ、たぶんきっと何よりも。
 五時に起床したわたしはお弁当を作り、家を出る。制服を着なくなったというのに、ほとんど毎日同じような服装で。生活のサイクルが身体に染み込んでから、気にすることはなくなった。お金がないということは、不感になっていくということなのだと最近知った。きっとのその極端な形が路上生活なのだろう。実際に目にしたことはないが、まだテレビを普通に見ていた頃にニュース番組で特集されていたことがあった。きっと東京なのだろうが、川沿いでブルーシートと段ボールで家を作って暮らしていた。わたしだったら、そんな様子をテレビで流されるのは嫌だ。そのときはそう思ったし、少なくとも今のわたしもそう考える。でもいつか気にしなくなる日が来るのかもしれない。
 わたしは空っぽになった家の中を眺め回す。引っ越しのために処分できるものはほとんど処分した。家財道具だけではなく、ぬいぐるみの類も。目覚まし時計もひとつあればじゅうぶんになった。今のわたしはきっと時計が無くても起床することができるだろう。金を得るための生活を身体に染みつけなければならない。生きていくために必要なことだ。
 家を出たわたしは駅前に向かう。工場までのバスが出ている。そのバスにはわたしみたいな顔をした女性たちが乗り込む。しかし年齢はわたしよりも上の人ばかりで、同年代の女性はひとりもいない。わたしは座席に座り、外の景色を眺める。話し相手はいないから、数十分の時間をそう過ごす。ガラスの汚れはひどく、とてもじゃないが透明とは言えない。手で拭っても落ちることはない。だから外の景色はくすんで見える。もっとも、透明のガラス越しでも淀んでいるように見えるのかもしれないのだけれど。



to be continued.



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